五大の人生日記

日々感じたことや、思いついたこと、思い出などを
書き綴っていきます。

1985年8月12日

日航機事故は完全に記念日になってしまったようですね。


これだけ毎年やるのなら、きちんと記念日に制定して休日にしても
いいのではないでしょうかね。「山の日」とか「海の日」とか、抽象的な
休日が多く、一体何の意味があるのかさっぱりわかりません。


昨年も書きましたが、毎年この日になると人間の運命について考えます。


私はまだ10代で、D市に住んでおり、
当時はあまり関心ありませんでした。飛行機事故とかハイジャックは
それ以前にも割とありましたからね。


当時住んでいたD市から帰省するのに電車で3時間以上かかって
ましたが、飛行機使う必要性が全く無かったせいもあります。


この時代はLCC(格安航空機)はまだありません。
新幹線があるのに、羽田から伊丹まで 
飛行機を使う人はかなり裕福な人だったと思います。


それに墜落現場の群馬なんてどこにあるのか知りませんでした。
実際、群馬の御巣鷹山というのもあまり知られておらず
墜落現場を見つけるのが大変だったようです。。


この年は茨城方面でつくば博も行われていたはずです。
が、まったく関心ありませんでした。


資料映像:当時の関心の無さを示すローカルニュース(兵庫県?)

(私が博覧会に関心を持つのは1981年の神戸のポートピア’81が最後。)


この年は北関東の当たり年だったのでしょうね。


が、西日本に住んでると東京より北の方って本当に疎く、
関心が無くなるものです。


さて、この飛行機は乗ってしまえばアウト、いかに操縦席で努力しようが
無駄というのが一般的見解です。


しかし、当時の状況とまったく同じものを再現できないわけだから。
私は土壇場まで運命変更可能だったと思いたいです。
パイロットさんたちの努力は無駄ではなかったのです。


終わってしまったことで、しかも外部から眺めているだけだから
わからないのだと思います。
何らかの、未知の、助かる方法があったのだと


最近はそういう風に考えています。


亡くなった方々のご冥福をお祈りします。


追記:全日空機の後方部が爆発し与圧系統のトラブルで
羽田に折り返し緊急着陸したそうです。奇しくも羽田発伊丹行き、

午後6時の便だったそうで。無事で何よりです。







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