五大の人生日記

日々感じたことや、思いついたこと、思い出などを
書き綴っていきます。

超短期バイトの思い出 4

20代の時、治験バイトというのをやろうとした
ことがあります。要するに新薬の実験台(人間モルモット)
です。


西日本最大級の都市E市での出来事です。
すでに大学を中退し、賄い付きの寮生活の仕事をやめ、
アパートに引越ししたぐらいの時でしたっけ。


いろいろお金がかかるのが予想され、金銭的な不安が
大きくなっていました。


当時ネットなんてありませんから、
友達のコネで、この「闇バイト」に手を出そうと
したのです。


宿泊が必要ですが、自由になる時間が多く、
食事も出て、短期間で何十万円ももらえるバイトです。


その友達のことは過去に記述済ですが、大食いの
ナースの彼女がいる男です。こういう医療業界に詳しかったのです。


その友達は「安全だ」と繰り返し主張していました。
薬の実験台と言われても、動物実験で安全性は確認されており、
人間でもほぼ行けると踏んでいる薬だからです。


※しかし、病気ではないのに異質な病気の治療薬を飲むわけですから
どんな副作用があるかはわかりません。歳をとってから出てくる可能性もあります。

高い報酬にはその未知数の危険性に対する「迷惑料」が含まれているのです。


それで病院みたいな所へ検査に行きました。
検査結果次第で採用だったのですが、落っこちてしまいました。


ビリルビンが高いといわれました。ビリルビンとは
肝臓の機能を示す数値なんですが


当時、お酒もタバコも普通にやってましたから高くても
不思議ではなかったのです。


それと子供の頃からの持病がありました。当時クヨクヨ悩んで
ストレスがたまりやすいタイプでした。全体的に数値が
良くなかったです。


しかし、検査に行くだけで、謝礼が出ました(いくらだったかは
覚えていませんが、1万円もありませんでした。大した額では
なかったです) ※当時はバブル期なので1万円でもはした金です。


完全に健康でないとなかなかできないバイトではあります。


今では落ちてよかったと思っています。


これと同時期、ここでも書いたように、交通量調査なんかも
やってました。人間関係に自信がないので、楽な短期バイトに逃げて
しまっていました。


こういうバイトは一時的にお金が良くても、安定性がまるでありません。
歳をとってもできるでしょうか?病気したら一発でできなくなります。


そうすれば、短期のこういう仕事は、経験になりませんから、
次へのステップが踏めません。


短期バイトをして、後は無職で働かず、お金がなくなってきたら、また
短期バイトをする。これの繰り返しになります。


一時的に大金に喜んでも、それは地獄への一里塚なのです。


どんなに安かろうが、安定的に収入が入ってくること、将来につながる
こと、歳をとっても、身体が衰えても働けること、これが重要です。


それに気づいて、私はある時、短期バイトをすっぱりやめ、
正社員就職へと方向転換していきます(続く?)











「東京人」を捨てた 2

私は東京に出てくる前、西日本のB市に移る話があった。


当時住んでいたE市はコテコテ、癖のありすぎる街で、
職場の人間関係も最悪になっていたから、この街は出たいと
思っていた。


今思うと、E市で転職し、もう少しマシな所に住めばすむ話
だったのかもしれない。当時は、下町の、工場地帯、ドヤ街っぽい所、
そんな所ばかりに住み、気が滅入ってしまっていた。


B市は実家からはそこそこ距離はあるが、むちゃくちゃ遠方というわけ
 ではない。E市に比べ、過密度や泥臭さは減るし、自然に恵まれており
学生もそこそこいる。住みやすいかもしれなかった。


それで実際にB市にはアパートを探しに行った。
そこは地元では有名な大学の近くだった。
(学生の多い所は安いアパートや便利な店がそろってることが多い)

私は子供の頃住んでいて、イジメを受けた印象が強かったが
親としては、すごく思い入れのある都市だったようだ。


親の知り合いの失業中の青年を、コネによって、B市の工場に雇い入れ
る話があったようだ。お前もどうだ、という雰囲気があった。


親は東京は「見知らぬ土地」とよく言っていた。
B市なら親も住んでいたので勝手がわかる。
だから親は私のB市への移住は歓迎していた。


しかし、私は工員は二度とやりたくなかったのである。
明らかに自分に合わないと思っていた。


それに私にとってはB市は小学校時代イジメを受けた土地。
過去の嫌なことを思い出しやすく、印象が悪かった。


おまけに「一度住んだ県には二度と戻らない」というおかしな
ジンクスを持っていた。


結果的には東京に来てよかったとは思っている。


が、あそこまで頑なになる必要性もあったのだろうか、と
と思うこともある。


自分の心の状態が、嫌な人間も、イジメも、不幸も
引き寄せてることを知ってるから。


おととし、B市を訪れた時、電車の座席に忘れ物をしてしまった。
近くにいたおばさんが、親切に教えてくれた。


(あれ? B市にもいい人いたんだ)と思った。
アタリマエである。


住む場所だけ変えても何も変わらないのだ。
自分の心が変わらなければ。


(写真:B市)








「東京人」を捨てた 1

余暇に都心に出かけることはほとんど無い。
ほぼ郊外に行く。


買い物は郊外のショッピングセンターと通販で十分。


従って乗り換えとか、仕事で行く以外は
都心にどういうものがあるかわからなくなっている。


秋葉原の街は何年訪れてないだろうか。そういえば、加藤ナントカ
という人が事件を起こしてから一回電球を買いに行った。
オノデンっていう店だったかな。記憶にあるのそれだけ


都心でデートというのも今できるか疑問である。
第一、そういう所でデートなんてしたくない。


もはや東京人ではない。そして意図的に東京人を捨てた。


上京した頃は、田舎者に対して優越感を持っていた。


しかし、本当に優越感を持てるのは都心に車と家を所有し、
ふんだんに遊びまくれる金を持ってる人だけなのだ。


ぼっちで貧しい者にとっては全く意味が無い。


私は上京時から、都会のゴミゴミが息苦しくて郊外に逃げていた人間だ。
いや、D市やE市でさえ逃げていた。
だから、こんな人間が「大東京超都会人」を名乗る資格などない。


とっくに地方に移住してもよい、と思っているのだが
スキル(つぶしが効く専門技術、実務経験)、と初期資金が無さ過ぎて
断念している。


UターンとかIターンとかすすめている本は、たいていスキルや金が
余るほどある人間向けである。


正社員で妻子あり、そこそこ収入のある人間が、定年後田舎で、悠々自適の
生活を送るためのものなのだ。アホらしい限りである。


親は、私がぼっちで東京に出た後、すぐに音を上げて帰ってくると
思っていたらしい。


その後、通信制大学に入り、やめた後も帰ってくると思っていたそうだ。


帰ればよかったな。あの頃なら年齢的にも何とかなったかもしれない。
当時は明らかに意地を張っていたのだ。


(写真:東京・渋谷駅前スクランブル交差点)