五大の人生日記

日々感じたことや、思いついたこと、思い出などを
書き綴っていきます。

訃報 1800年代生まれ唯一の生存者さん

19世紀で、1800年代生まれの唯一の生存者、

イタリアのエラ・モラノさんが

お亡くなりになりました。享年117歳との事です。


これで地上に存在する人は1900年代以降の生まれの

人ばかりになってしまいました(19世紀生まれは残り2人との事)。


ライト兄弟が飛行機を発明する前で、日本はまだ明治です。

日露戦争の前にお生まれになっています。彼女が生まれる年

まで勝海舟が生きていたのですね。


私は20世紀の後半の生まれですが、22世紀まで生きられるか

わかりません。これを読まれているほとんどの皆さんなら

大丈夫です。


明治は遠くなりにけり。1800年代は遠くなりにけり。

19世紀は遠くなりにけり。


ご冥福をお祈りします。






坊主丸儲けの時代は終わるか 2

祖母の葬儀のとき、父が「修行もしてないくせに、あのくそ坊主め!」と

怒っていたことがある。お布施をめぐるゴタゴタのようである。


葬儀屋によると、亡くなった人の家族が、僧侶に

「お布施はいくらぐらいがよろしゅうございますか?」と尋ねるケースが

あるらしい。実はそれは尋ねてはいけないことなのだそうだ。


僧侶は「いくらでも。」「多ければ多いほどいいですよ」と無限に

高額をふっかけてくるに決まっているらしい。故人のためにみみっちいことは

しないほうがいい、という手前、高額のお布施をする人も多いのだという。


しかし、お布施はこちらで決めていいのである。読経や祈祷に対する

報酬ではない。謝礼であり、寄付なのだから。こちらの気持ちなのだ。


だから経済的に苦しければ1000円でも0円でもいいはずなのだ。

宗教はサービスを売ってその対価としてお金を得る商売ではない。

非営利、ボランティアなのだ。だから無税になってるのだ。


高額のお布施をしたから故人が天国に行けるとかそういうもの

では絶対にない。


ある某新興宗教は「自分が出せる極限まで布施しろ、

借金してでも布施しろ」と指導する。


また別の某新興宗教では「教祖は家屋敷、家財道具いっさい

売り払って宗教につぎこんだのだから、信者もそれと同様のことをせよ」

と指導する。


これらの場合は、「金銭への執着を無くすための修行」という

位置づけである。


で、この類の宗教に「無財の七施(お金のない人ができる施し)※」

について尋ねるとマトモに答えられない。「現金でないと意味がない」

と馬鹿げた回答をされることもある。


※たとえば、病人や身体の不自由な人に電車で席を替わってあげるというのもあり、

それが、お金をあげるのと同じぐらいのお布施になると言われている


布施というのも結局気持ちの問題なのである。


これに関しては、一人一人が正しい宗教の識別眼を持たない限りは

坊主(宗教家)丸儲けの時代は終わらないことになろう。


写真 本人撮影(四天王寺:大阪市天王寺区)



坊主丸儲けの時代は終わるか

四天王寺を参拝したとき、ふとこの寺が経営する仏教大学

があったことを思い出した。


今も大学は存在するが、仏教大学ではなくなっていた。

それどころか仏教学部、仏教学科も廃止してしまった。

寺が経営しているのに仏教色を一掃するとは余程のことだ。


理由は儲からないから。若い人に人気が無く客が集まらない。

就職も不利である。しかも、仏教カラーを前面に出すとダサく

暗いイメージがつきまとって客寄せできない。


むしろ客が逃げてしまう。経営上何のメリットもないから

廃止したのだという。これは仏教系を置いている大学共通の

悩みの種ということである。


大学で学ぶのは学問仏教である。どっちかというと、歴史や

古典を学ぶようなもので、別に学んだからと言って幸せになるわけ

でもない。頭でっかちになるだけである。


かと言って実践的な面と言っても、葬式、法要と墓管理ぐらい

しかない。ここに日本仏教の悲劇がある。


江戸時代、徳川幕府が檀家制度を作るまでは、僧侶は托鉢をしたり

自分の寺で畑を耕したりして自給自足の生活をしながら

修行していたのであるが、


檀家制度導入により、檀家の葬祭や法要や墓管理を専属で

まかされるようになったのである。このことにより、安定収入

を得ることに成功したが、肝心の仏教は形骸化・葬式仏教化してしまった。


景気の良い時代にはクソの役にも立たない学問でもやる人は

いたし、葬式にも気前よくお金を出す人がいた。


しかし、最近は崩れてきているという。葬式なんて

簡易的にやりたいと考える人が増えたのだ。

散骨や、自然葬、あるいは葬式要らないという人まで

出てきた。


(ただし、条例や法律で制約がある。東京都の場合、

遺体は火葬場で焼却処理しなければならない)


内容においても、堅苦しく古く戒律だらけの仏教より、

お手軽スピリチュアル・自己啓発セミナーや

パワースポットめぐり・観光寺院に客がとられている状況だ。


亡くなる人は増えているので、本来なら好景気なのだが

実際には厳しい状況になっているようだ。(とは言っても

税金とられないので、まだ好待遇)


昔はキャバレーに通ったり、ベンツの乗り回す僧侶が

珍しくなかったがだんだん見られなくなるのかもしれない。


坊主丸儲けの時代は終わろうとしているのかもしれない。


本人撮影:四天王寺(大阪市天王寺区)