五大の人生日記

日々感じたことや、思いついたこと、思い出などを
書き綴っていきます。

中国人の思い出

昔、実家に帰ったら見知らぬ中国人が来ていた。
父とどこかで知り合って、遊びに来たようだった。


父は私とは性格が正反対。父は知らない人とも世間話ができる。
旅先でも誰かとすぐ仲良くなり、友達を作ってしまう。
人間のみならず犬や猫も拾ってくる。


その中国人は細面で眼鏡をかけている優しそうなおじさん
だった。李さん(仮名)としておく。
上海市でハンコ屋さんをやってる人だという。


私の祖父は第二次世界大戦に出兵し、中国戦線で亡くなっている。
父は祖父の慰霊に行きたいということで中国に行ったことがある。
そこで知り合ったのかもしれない。


私はその頃はすでに根無し草のプータローだった。が、通信教育の学生
だったため、李さんには一応、大学生の息子ということで紹介された。


李さんはカタコトの日本語は話せるようだが、基本は筆談となった。
チラシの裏紙などに書きながら、対話をした。


私はまず日本の大学をどれだけ知っているか尋ねてみた
「慶応義塾大学」と書いて見ると「知らない」
「早稲田大学」これは「知ってる。」


※慶応はすごくブランド学校なのに、中国の人が知らないのは意外だった。
後に福澤諭吉は「脱亜論」を唱えていたせいだとわかる。


次に「成吉思汗(チンギスハーン)」と書いてみた。こういう漢字は
昭和の時代ヤンキーや暴走族(※2)がよく使っていたような気がするのだが。


※2 今でいう珍走団のこと。


「喧嘩上等」「夜露●苦」など書かれた特効服とかステッカーなど
たくさんあったはずだ。


資料映像 当時、ディスコなどで流行ったとされる
     ジンギスカンという曲。歌詞はドイツ語。
    (動画はすぐ削除します)


1979年


こんなのが本当に通じるか疑問だったが、ちゃんと通じた。


そして、元の創始者クビライ=ハンはどういう書くんだっけと思っていると
李さんは「忽必烈」と書き、発音した。私には「プピライ(pupirai)」
という風に聞こえた。


それから、突厥(とっけつ)、匈奴(きょうど)、西夏(せいか)、
契丹(きったん)、回紇(ウイグル)、西蔵(チベット)・・
など知ってる限りの辺境、少数民族名などを書いてみた。


李さんは漢族である。だからつまらないだろうと思ってると、
みんな知っていて、逆に興味を持ってきたようだ。


その民族は西の方とか、南の方、北の方・・というぐあいに説明された、


「女真(にょしん)」と書くと、それは満州の昔の呼び名だよ。と説明を受けた。


朱元しょうとか曹操とか鑑真とか知ってる中国人の歴史上の人物の名前を
手当たり次第に書いてみたら、みんな知っていた。


最後に日本の武将をどれくらい知ってるか尋ねてみた。
豊臣秀吉 知らない。織田信長 知らない。


それを傍らで聴いていた父が「信長知らないの?」と衝撃を受けていた。
父は織田信長が好きで、大河ドラマの「黄金の日日」とかにはまっていた
からである。


資料映像  黄金の日日 信長のシーン(12:10~)
1977年


結局李さんが知っていたのは徳川家康。日本では老獪(ろうかい)な
イメージがあり、信長のほうが人気があったりする。外国では違うのだろう。


筆談が終わると、李さんに「本当の文化交流ができました。ありがとう」
と感謝された。


その後、印鑑をただで作ってもらった。さすが漢字の国で、
けっこう凝った作りである。現在も銀行印として使っている。


私は外国はほとんど行ったことがないが、こういう交流は
外国に行ったぐらいの価値があるように思う。


















ポジティブで満たす 4

今日は東京は日中は実に蒸し暑く、夕方からすさまじい雷雨と
なった。梅雨明け以降雨ばかりである。


ここんとこ、病状も安定しておらず ネガティブになる
要素は周囲にたくさん転がってる。


しかし、ここでネガティブになっちゃいけないのだ。


どんなに鬱陶しい出来事が起ころうと、その不快感自体は
自分が作り出した観念だということを理解しなくては
ならない。


鬱陶しい出来事を修行だと思うこともできるし、
これから良くなると思うこともできる。


不順な天候が続こうが、暗いニュースが多発しようが
その雰囲気に呑まれ、一緒になってネガティブになってはいけない。


同じ状況で、ネガティブになってなくて絶好調な人は
星の数ほどたくさんいるから。


ウハウハな人は、雨続きでもウハウハなんだ。
世が大不況だろうが、大地震起ころうが、北朝鮮が核ミサイル
撃ち込もうが、その災厄を受けず、ウハウハなんだ


そういうものだと思ったらいい。


人生は誰でもプラスとマイナスを持っていて、人生全体で
見ると、プラスマイナスゼロになってるとか、逝くときに
プラスマイナスゼロで逝くとか、そんなの嘘だから


オクレ兄さんの名言 80年代(動画はすぐに削除します)


ウハウハな人はどこまでもウハウハが続いて行く
もんなんだよ。どん底な奴はどこまでも惰性でどん底を
這っていくもんなんだよ。半世紀を生きてやっと気づいたよ。


だからこそ、ポジティブでなくてはならない。ポジティブに生きて
いたら、生まれつき恵まれている人達には勝てないかもしれないが
少なくとも後悔はしない。それだけでも十分じゃないか。
















ポジティブで満たす 3

世の中は何でもポジティブじゃなきゃいけないような雰囲気が
あって、そういう押し付けが嫌だという人がいる。


私は世の中はポジティブだと思っていない。ネガティブの
海である。なのに、何でそんな見方になるのかというと
ポジティブを社交の道具と考えているからである。


私は社交的な奴らとつきあうためにポジティブになる気など
毛頭無い。そんな奴らに合わせる必要もない。


ポジティブは自分のためである。


「ネガティブ思考の何が悪いのか?ネガティブ思考がなければ
人類は発展してこなかった」という意見もある。


確かにそうかもしれない。


早い話、飛行機であれ、原発であれ、楽観的であれば成立
しなかった。最悪の事態も想定したからこそ、今日一応は
安全なものになっているのである。


しかし、科学技術や文明におけるネガとポジと、
曖昧模糊とした人生哲学上のそれとは質が違うため、
同一線上には置けない。


第一、ネガとポジのどっちが正しいかという議論など
私は無意味だと思っている。


意見とか、正しさの問題じゃない、単なる選択だからだ。


「老いてからが本番」「病気になって気づいたこと」
「別れても、次もっといい人にめぐりあえる」


こんなフレーズが臭いのは私だってわかる。(注)


注)老いてからが本番→じゃあ今までは本番じゃなかったの?青春時代も本番じゃないなんて?
病気になって気づいたこと→気づきなんていらないので、さっさと治ってほしい
             それか最初から病気にならず健康でありたい
別れても、次もっといい人にめぐりあえる
   →まどろっこしいことせず、最初に別れる必要のない、いい人にめぐりあえばいいのでは


しかし、誰でも、老いたり、病気になったり、
愛が破局したりして、落ち込むのが当然なのに、
(むしろ、落ち込まなければいけないような雰囲気が
蔓延しているのがこの社会)


落ち込まない選択肢もちゃんとある、ということ


コップに水が半分量入っていて
もう半分、という選択肢もあれば、まだ半分という選択肢も
存在する。


それに気づくことに意味があるのだと思う。